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わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。

彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

イザヤ書56:7

 

わたしの家は、祈りの家でなければならない。

ルカの福音書19:46

教会の本質は祈りの家です。

 

イエス様が主の宮に対して「祈りの家」である、と宣言されました。これは驚くべきことです。主の御名があがめられ、賛美と祈りがささげられる場所として宮は建てられました。ソロモンが神殿を奉献した時、「今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう」と主ご自身が言われました。宮こそが主の選びだったのです。その場所に主の御思いが臨み、御声が響き渡り、主の御心がその町全体に現れたのです。

祈りはオプションではありません。祈りは主の願いであり、命令です。主は祈りの香を心から喜ばれるお方なのです。その祈りに耳を傾けてくださる主が私たちを呼び、ご自身の元へ招かれているのです。その招きに応答したいと思いませんか?

 

ダビデが持っていた心、ただひとつの願いである主の家に住むことを私たちも願い、真の礼拝者として生きていきたいと思います。

 

​エレベートチャーチ牧師

佐々木 拓也

HOPE274
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