教会は特別な共同体であるとつくづく思わされる。
教会(エクレシア)はイエス様の口から初めて発せられた。(マタイ16章)
教会は主ご自身が建てると言われた特別な集まり。
主は教会を通してこの地に神の国を現す。
だから主が教会を建てるのでなければ本当に虚しい。
黙示録の7つの教会を見ると、それぞれの教会の召し、強み、弱み、戦いが全く異なることに気づく。地域性、背景が全く違うからである。
教会はすべて同じでなくていい。
いや、むしろ違う方が自然である。それでいい。だって召しが違うのだから。
聖書的であるならそれでいいのではないか。
大切なことは、主がどのようにその教会を導いておられるか、ではないか。
だからこそ主に耳を傾けなければならない。
教会のかしらはイエス様であって、教会は体。
からだ全体を考えれば、頭で考えていることを体が表現する。
からだで考えるのではなく、頭からくだってくる指令に体は従う。
これが自然体であり、何の違和感もない状態である。
同じように、イエス様の指令に従う教会、これが本当に自然な姿だ。
他の教会と違ったっていい。
ただ主の導きがあるのかが大切。
他の教会と同じであっていい。
ただ主の導きがあるのかが問われる。
教会、それは勝利者の集団である。
今日もハデスの門は教会には勝てない。いや、永遠に。
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