気づけば更新がしばらくされていませんでした。
これくらいが良いのかもしれませんが。
さて、キリスト者にとって救いはゴールではありません。イエス様の似姿に変えられていくという成熟が大事です。もし、キリスト者として成熟し、神様の御心の中に留まりたいと願うなら、聖別された時間が必要です。それを疎かにしては、実を結ぶことはできません。
聖別された時間とは、自ら主に捧げられた時間です。
人それぞれ1日でやらなければならないことはあるでしょう。
隙間時間でしたいこともあるでしょう。
しっかりと時間を作って成し遂げたいこともあるでしょう。
しかし、それらを一度横において主に時間を捧げるのです。
聖書を読み、心注いで祈り、そして主に仕える。
まずこの時間を優先されることによって、他にしなければならないことに順序がつけられます。そして祝福されると私は信じています。勘違いしないでください。趣味やリフレッシュされることは決して悪いものではありません。
初物が聖ければ他も聖いという原則に立つことです。
聖書は「規則」を提示しているのではなく、「原則」を提示しています。
次回は、「基本原則」について分かち合います。
コメント